部活指導研究協会通信

日々、生徒と真剣に向かい合う部活関係者に送ります。部活動が果たすことの出来る役割を最大限に発揮させるための活動を行っています。

日本部活動学会第1回大会 部活動問題講演ダイジェスト

部活動研究のトップが集結!日本部活動学会第1回大会が3月25日(日)に開催さ
れました。


 今大会につきましては、当協会としても後援団体として支援して参りました。


 また代表理事である中屋も副実行委員長として大会運営に携わり、当日を迎えました。
 そして学習院大学の大教室の最後列まで埋まる盛況のなか第1回大会は開幕し、日本
を代表する部活オピニオンリーダーの先生方が次々と登壇しました。

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内容をダイジェストにしてご紹介します。

<ダイジェスト>
1)名古屋大学 内田良准教授
◇学校内の危険とは
・学校のなかには放置されて来た危険があった。
・統計の数字を見直してみると見逃されて来た死亡事故の事例があまりにも多い。
・部活動中の柔道で毎年複数の死亡事故が起きていた。このままでいいのかという思い
から始まった。
全柔連の指導教本のなかの安全な指導に対する意識の薄さを指摘。
・この指摘をきっかけに事故状況が劇的に改善されていく。

◇生徒も教員も休めないブラック部活
・2017年11月、部活動問題対策プロジェクトのSNSを利用した訴えが注目される。
・これを機に中央教育審議会が部活動制度の見直しが加速する。
・そもそも部活動は教育課程におけるグレーゾーンで、制度設計が全くもってはっきり
していない。
・学習指導要領内で自主的と規定されているのに強制されるという矛盾がある。
・H29年のスポーツ庁の中学校教員対象に調査の注目の結果:部活したい44% 部活や
りたくない48%
・部活動顧問の過重労働へのトラップは、「部活が楽しくて仕方なくなる」という気持
ちから。
・授業を犠牲にして、健康を犠牲にして、部活に打ち込むことへの疑問を持つべき。

2)学習院大学 長沼豊教授
◇部活動のこれまでと部活動学会のこれから
・部活に関わる立場によって見方、考え方は異なる。
・部活時間と学力の関係の調査
部活時間が1時間以上2時間未満の生徒のグループが学力が1番良く、3時間以上は下から
2番目に悪い、全く部活しないが1番悪い
・長時間やれば効果が上がるわけではない。部活動組織の適切な規模は?
・改革案は様々。”肥大化した風船”のどこにどのような針をどの程度刺すか。
・”知の蓄積”の”場”として学会を立ち上げた。

3)宮城教育大学 神谷拓准教授
◇部活動の存在理由~学校、子供、教員の観点から~
・教科活動と教科外活動の往還関係を作る必要がある。
・教員の研修は必要だがその位置付けをはっきりすべき、それを考えずに研修の話をす
るとおかしいことになる。
・そもそも部活動は何を経験させる場なのかどこにも示されてない。
・教員の勤務時間の問題だけでなく、議論すべきことがある。時間だけでなく中身の議
論をすべき。
・これからは部活の教育内容について検討すべき。
・部活がどんなことに働き掛ける教育活動なのかが、はっきりしなければ自主性・主体
性を発揮しようがない。
・あたなの最善の利益を子供の最善の利益だと言って押し付けてはいけない。子供のた
めと言っているが、、

4)大阪市立上町中学校 杉本直樹教諭
◇教師の視点から見る部活動の一場面~かつて当たり前だった場面を教師なりに考察す
る~
・部活動に賛成、反対というのは不毛な議論と思っている。
・日常生活の延長線上に部活を置くべきだ。
・誰のための活動なのか。教師、保護者、世論ではなくまさに生徒のため。
・学校内の声の大きさではなく、サイレントマジョリティの意見を見極める。
・話せる人、理解してもらえる同僚がどれくらいいるか。部活動への関わり方でも気軽
に言う一言が傷付く
・自主練:したいしたくないのにするのは自主練ではない。本当の意味で自主練をする

 個人練習:全体で時間を取って自分で課題を見つけてする練習と確認した。

5)中教審委員 妹尾昌俊委員
◇学校の働き方改革の中での部活動改革~なぜ長時間労働のままじゃマズイのか~
・民間だったら土日出勤がこんなに続いたら、上司の責任が問われる。それくらい異常
な状態。
・校長、教頭は部活を普通に乗り越えて来た人たちで、そういう人たちには理解できな
い感覚がある。(生存バイアス)
・部活動改革なくして教員の働き方改革なし、外せない問題だ。
自民党が出している案は体育の充実を関連づけているところが特徴。
・いくら生徒がやりたいと言っても法令無視はダメなわけで、行き過ぎた部活動指導は
改善されるべき。
・競技の論議と教育の論議を混同して指導することが間違い。

 

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教員の過重労働問題が浮上してきたもう1つの背景

 この部活動の問題が浮かび上がって来た背景についてですが、1つは、名古屋大学の内田先生が発信した「ブラック部活」のネーミングのインパクトのおかげで部活中事故の発生件数の再認識がなされ、問題意識が喚起されたということは大きいと思います。
 それに加えて過重労働の問題についてですが、大方の公立学校はそうだとおもうのですが、実はいわゆる長期休業中の勤務形態の変化も大きいと思っています。

 つまり、以前は学校の先生は夏休みは自宅研修ということでほぼ出勤はしないで済んでいた訳で、それが通常通りの出勤が義務付けられ、夏休み、冬休み、春休みも毎日出勤するかたちになりました。

 それで自宅研修が認められていた時代は、学期中にどんなに朝早くから夜遅くまで働いても、夏休みがあると思えばそれも我慢できていたわけです。

 10年くらい前でしょうか、夏休みに出勤しないというかたちについて世間の理解が得られないということで、その対策として講じられた長期休業中の自宅研修への大幅な規制が、実は教員の過重労働の声の裏に大きく働いている現実も、この問題を考えるに当たり考慮すべき大きな要素の一つだと思います。

 かと言って元に戻す必要もないと思いますが、そういう過重労働への不満に対する緩衝材が昔はあったというこの認識は必要ではと思っています。
 なので急に仕事が増えた訳でもなく、今の教員が我慢が足りないというわけでもなく、その辺の事情に対する認識もあると本質が見えてくる気がします。

 

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最終的に生き残った者しか調べないことで統計的なバイアス が出てしまう現象

  今回、部活動学会の大会で、気になったキーワードに「生存バイアス」という言葉が
ありました。

 「生存バイアス」とは、最終的に生き残った者しか調べないことで統計的なバイアス
が出てしまう現象のことです。

 個人の成功体験にもとづいたデータのみを集計すると同じ体験をして脱落していった
人たちの傾向を見落としてしまう可能性があります。

 私も部活動の経験が今の自分のやっていることにプラス材料として機能していると思
っています。恐らく私みたいな人は世の中に大勢いるでしょう。
 しかし、だからと言って、その体験を部活動の存在意義の根拠にして安易に主張してしまうのではなく、同じ体験が人によっては違う結果になり得るということへの配慮もあってしかるべきです。

 なぜなら、この成功体験は部活動の経験がうまい具合に働いて生き残った人の主張で
、実はこの裏に不快な思い出に今でも苦しんいる方がいる半面もあるわけで、ここは忘
れててはいけない点だからです。

 例えば、盆正月なく毎日休まず部活動をさせられて、時には暴力、暴言を受けたりし
たけれど、あの厳しい部活動を乗り越えられて自分の強い心が育まれた、あの時のこと
を思えば何でも出来る、みたいな成功体験は、多くの部分に生存バイアスがかかった意
見で、正反対の受け取り方をして心に傷を負っている方の存在も認識すべきで、この辺
をおさえたうえで部活動のあり方は判断をすべきなのだろうと思います。

 ですから、常にバイアスの存在を意識し、目立つ成功例以外に対しても広く目を向け
ていくことが、この部活動改革を進めるうえでは必要なのだろうと思います。

 それでも部活動へのノスタルジックが根強く日本人の心にあることは厳然たる事実で
乱暴にそこを封印してしまうことは現実問題としていい解決策に繋がらないとも思い
ます。

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3月25日日本部活動学会第1回大会 史上最大の部活会議が盛会のうちに無事を幕を閉じました!

3月25日の日本部活動学会の第1回大会が大盛況のなか幕を閉じました。
まさに史上最大の部活会議だったと思います。

日本の部活動研究の第1人者が勢ぞろいの大会でした。
大会中、最新のデータ、深遠な見識、造詣深い発言等々に満ち溢れていました。

個人的な感想として、
現在の部活動の状態は、言わば生活習慣病におかされた中高年の身体のように思えました。
何も考えずに飲み放題、食べ放題で生活して来て、見た目は普通に生活してる様に見えても、
実は高血圧、糖尿病、痛風、あらゆる成人病におかされ、明日倒れても不思議ではない、部活動もそんな危機的な状況では、、

今回の大会では部活動の一流専門家の皆さんが、有効な処方箋をたくさん示してくれました。
健康を取り戻すための薬が劇薬であれば副作用が心配です。かといって食事療法だけでよいのか、様々な意見がでました。

今後の方針として、引退すべきだという意見、仕事を減らして身の丈に合った生活をすべきという意見、それから、いやいやまだまだ今まで通りやっていけるという意見。
これも様々でした。果たして部活動制度の健全化への道はいかに、、

学習大学の大教室は最後列まで熱気むんむんでした。

 

次号以降、詳しくお伝えします。

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日本部活指導研究協会の代表として、閉会セレモニーで挨拶させて頂きました。

 

 

部活顧問間の横の繋がりの薄さが孤立を生んでいる

 よく考えると部活顧問は、同じ競技内でもそうですが、各種競技を跨いで顧問が集まる機会というのは全国的にない気がします。

 当然ですが、全員顧問制の学校で顧問を集めるイコール職員会議になってしまいますし、かといって各部活の代表が集まるという顧問会議なるものは恐らくどこの学校でもないのでは、、

 例えば校内で各部活から代表顧問が集まるとなると、何となく部活熱心派の集会の様相を呈してしまう可能性もあり、校内融和の観点からは望ましくないといった見えない空気もあります。

 学校内ですらそんな状況なので学校間で、あるいは各競技種目間でとなると顧問が集まって意見交換をするチャンスはなかなか難しいと言えます。

 こうなると部活動の問題については1人で悩まざるを得ないのが現実です。実際、身近な校内でも顧問間の横の繋がりがかなり薄く、特に新人の先生などは孤立してしまいがちになります。

 例えば経験のない競技の部活動の顧問になったとして、その場合、技術のことはもちろんですが、練習試合を組むネットワークなどがあるわけもなく、暗闇のなかでさ迷うような気分を延々と味わうことになるのです。

 教科指導には、目安になる指導要領があります。部活指導にはそれに当たるものがほぼありません。にも拘わらず部活顧問を支える組織が存在しないというのが実態です。

 まずは部活を指導する顧問と外部の指導員を各学校毎に組織化し、年に1度でいいから集まるところから始めてはどうでしょう。そうすれば、各校がその組織化した連絡会議で校内の部活関係者を一堂に集め、各種連絡、注意喚起が出来ます。
 結果的にとりあえず外部の指導員に一対一で個別に対応するという煩わしい事態は解消される気がするとおもうのですが、、
 そして、横の繋がりのきっかけにもなり、情報交換の貴重な場になりうるのではないかと考えます。

 

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そもそも制度のなかで部活が曖昧な位置づけなった歴史について

こんにちは部活指導研究協会通信です。

 としまコミュニティ大学講座「部活顧問の過重負担問題を考える」の報告です。

題して~部活の曖昧な位置づけの歴史~


 日本部活動学会の代表の長沼豊先生の講演会に参加してきました。たくさんの受講者の方がいらしていて、世間の関心の高さを感じました。そんななか、一筋縄ではいかない問題を一緒に考えてきました。


 今までに部活の歴史について書籍、講演等に数々触れてきましたが、今回は長沼先生に部活の歴史を丁寧に解説して頂き、改めて思うことがありました。


 それは昭和44年の必修クラブが登場して、平成元年の学習指導要領でその必修クラブを部活動で代替措置が出来ると規定された辺りのところです。


 つまりこの時に部活動に参加すれば必修クラブを履修したものとみなすと指導要領で規定されたわけですが、このことが後々に余計に部活の存在を曖昧にしてしまった措置だったようなのです。


 なぜなら、教育課程にしっかり定義された必修クラブと、参加してもしなくてもよい教育課程上は実態が明確でない部活を同じ扱いで処理をしたため、現場の先生方の間では必修クラブと部活動の扱いに混乱が生じさせてしまったことは事実です。


 この後、平成10年に中高の必修クラブ活動は廃止になるのですが、残ったのは何だかわからないけどやらなければいけない気がする部活動が残って、現在の学習指導要領のなかで曖昧な存在感のままここまできているということです。


 この部活動の学校教育の歴史のなかの位置づけの変化でも、特に昭和44年の改訂は今の部活の状態に大きな影を落としてしまったと言えます。


 今回の長沼先生の講演会では、この辺の理解が深まったことが大きな収穫でした。