部活指導研究協会通信

日々、生徒と真剣に向かい合う部活関係者に送ります。部活動が果たすことの出来る役割を最大限に発揮させるための活動を行っています。

そもそも制度のなかで部活が曖昧な位置づけなった歴史について

こんにちは部活指導研究協会通信です。

 としまコミュニティ大学講座「部活顧問の過重負担問題を考える」の報告です。

題して~部活の曖昧な位置づけの歴史~


 日本部活動学会の代表の長沼豊先生の講演会に参加してきました。たくさんの受講者の方がいらしていて、世間の関心の高さを感じました。そんななか、一筋縄ではいかない問題を一緒に考えてきました。


 今までに部活の歴史について書籍、講演等に数々触れてきましたが、今回は長沼先生に部活の歴史を丁寧に解説して頂き、改めて思うことがありました。


 それは昭和44年の必修クラブが登場して、平成元年の学習指導要領でその必修クラブを部活動で代替措置が出来ると規定された辺りのところです。


 つまりこの時に部活動に参加すれば必修クラブを履修したものとみなすと指導要領で規定されたわけですが、このことが後々に余計に部活の存在を曖昧にしてしまった措置だったようなのです。


 なぜなら、教育課程にしっかり定義された必修クラブと、参加してもしなくてもよい教育課程上は実態が明確でない部活を同じ扱いで処理をしたため、現場の先生方の間では必修クラブと部活動の扱いに混乱が生じさせてしまったことは事実です。


 この後、平成10年に中高の必修クラブ活動は廃止になるのですが、残ったのは何だかわからないけどやらなければいけない気がする部活動が残って、現在の学習指導要領のなかで曖昧な存在感のままここまできているということです。


 この部活動の学校教育の歴史のなかの位置づけの変化でも、特に昭和44年の改訂は今の部活の状態に大きな影を落としてしまったと言えます。


 今回の長沼先生の講演会では、この辺の理解が深まったことが大きな収穫でした。